ピュア
神乃麻希
中央高速に小淵沢インターチェンジから甲府方面へ向かう。右手に連なる山々はそのまま日本アルプスの麓である。
「なんで又、こんなに田舎にあるのかな」
紗渡武史は効かないエアコンに苛つきながらシガーライターを押し込んでいる。
山梨県白州町。その名前の由来にもなっているカコウ岩質を多く含む地質のためか、南アルプスから湧き出る天然水が有名な町でもある。
紗渡はこの白州にレジャーに来たわけではない。小淵沢や清里もそう遠くない場所にあるにも関わらず、ここまで日帰りで来なければならないわが身を呪った。
夏ももう終わりの頃だった。
甲府昭和のインターチェンジを過ぎる頃、携帯電話が鳴った。
「よぉ、たけちゃん、もう帰り?ケータイ繋がらないんだもん困っちゃったよ。」
確かに工場の中では携帯電話は繋がらなかったかも知れない。高速にのってしばらくは使えなかったような気もする。苦笑いをしながら紗渡が答える。
「運転中は使っちゃいけねぇんだよ。結果はすぐに報告するから。あせるなよ。」
「結果だけでも良いから聞かせてくれよぉ。」
「良好だな。田舎だって事にかけちゃ似たようなものだからな。」
「失礼だなぁ、携帯は繋がるぞ。」
「とにかく今向かってるんだから、じゃぁな、切るぞ。」
必要以上に気温が上がった甲府盆地を出ても紗渡の乗るオフロード車の気温計は車外温度36度を示している。紗渡は助手席の足元においた発泡スチロールの箱を横目で確認しながら、余計な機能だけがまともに動作している車にあきれていた。結局シガーライターは押し込まれたままだった。
河口湖から東富士五湖道路に入り、須走口へ抜ける。
静岡県側にはいると、少しは車内に入ってくる空気がさらになま暖かくなった。246号線に入り、更に南へ。
伊豆国府の地、三島大社の門前町を母体として発展した町、江戸時代は宿場町として栄えた三島市街を抜けた田園地帯の民家で紗渡は車を止めた。
紗渡は助手席から白い発泡スチロールの箱を取り出し、民家の門をくぐった。民家の中では、先ほど電話をしてきた金条と宮代が待っているはずだ。紗渡のテスト結果を待ち続けているはずだ。
「よぉ、おかえりぃ」
「なんだ?飲んでるのか?」
「おぅ、テストより何より飲んでみるのが一番だ」
「なにいってんだか、そりゃ違法だよ」
「バカいってんじゃねぇ、作っただけでも充分違法だ」
宮代が、ほとんど白髪になったぼさぼさの頭をかきながら、にこにこと飲んでいる。実にうまそうではあるが、違法ウィスキーである。先ほど電話してきた金条の方は、脂ぎった長髪を後ろで束ねた黒い縁の眼鏡をかけた無精ひげ男である。飲んでいるのは宮代ひとりで、金条の方は、それをただ眺めながら、世間話をしていたようだ。
「で、どうだった。テストとうちの製品は。」
「水質並びに原料は問題ない。書類の方も一部直しは必要なようだけど…。」
「酒の味はどうだって聞いてるんだよ。」
宮代はもうほとんどただの酔っぱらいである。
「びっくりしてたよ。なんでこんな所にポットスチルがあるんだって。」
「それは味の話じぇねぇよ。」
「そうだな。でも、味は聞くまでもないだろう?水質は南アルプスと富士山の違いはあるものの極めて良好なようだ。大麦の品質にかけては無農薬国産ゴールデンメロンだ。文句のつけようがないだろう。酒造最適のお墨付きをもらってきたよ。」
「味はどうだってんだよ。」
「味ね。あそこで作っているモルトの昨年仕込んだばかりのサンプルをもらってきたよ。比べてみてくれ。」
「それも違法だろう。」
酔っぱらっていても、宮代は紗渡、金条とともに「地ウィスキー」を作るための会社の社長であり、杜氏である。もちろん、ウィスキーは日本酒と違って比較的工業製品であるので、杜氏ほどの仕事があるわけではないが、全体のバランスとどんなコンセプトの味を作り出すのか決定するのが仕事である。
紗渡がサンプルとして渡されたのは、若干黄色みがあるもののほとんど透明の液体であった。ホワイトオークの焦がし目の味わいなどほとんどなく、蒸留したばかりのウィスキー原酒だと思えばいい。それは、紗渡がここから持っていった、やはり無色透明の液体とほぼ同じなりたちを持っていると言えた。
口に含んだ瞬間から、宮代の顔から笑みが消えた。
「ふ〜ん、こんなもんなのか。」
「旨いもんじゃないだろう。まだウィスキーとは言えないからな。」
「ここから先の方が問題だと言うことだな。」
宮代の言うことが正しい。ウィスキーの味は、蒸留までの製造品質もさることながら、蒸留後に詰める樽の品質、さらには、それを5年なり、12年なり熟成させる間の管理の方が大変なのである。
「それでも、うちの方が旨いんじゃねぇか?」
「良いモルト原酒が5年後も良い酒とは限らないんだよ」
日本型のウィスキーはそのベースをスコッチにおく。スコッチの製法は、大麦を水に浸漬し、吸水させて発芽させる。発芽時に各種酵素が生成される。これを一度乾燥させるのだが、ピートという泥炭を使うことで独特のスモーキーフレーバーを加える。しかし、ピートは国内では北海道のごく一部で産出されるだけで、輸入に頼らざるを得ない。それが、国産の小規模ウィスキー酒造メーカをスポイルする原因ではあるのだが、他にも様々な障害がある。
一番の問題は、ウィスキーの酒造メーカとして年間に作り出さなければならないボーダーラインのクリアと、その流通方法、そして、そのための原材料の調達である。しかも、ウィスキーというものは、1年や2年で商品になるものではない。最低でも最初の5年間はただ働きをしなければならない。
これらの問題をクリアしてなお、政府の認可申請は新規の酒造メーカに対して、それほど開かれたものではない。
1994年、ビール製造の規制が緩和され、年間製造量が60キロリットルまで緩和されたおかげで、地ビールブームがまき起こり、それこそ駅弁並みの量の地ビールメーカがそれぞれの地域におこされた。それぞれに味わいや質の違いがあることからも今までの大メーカの作る、安定した品質のビール以外の選択肢として定着している。
すぐにでも「地ビール製造」を申請するだけの内免許の申請の申請書類は揃っている。宮代の「経営する」農家は、充分な財務書類をそろえてあったし、担保になり得る不動産も十分である。それは、紗渡と金条がこの10年間で築き上げた書類という名の信用である。問題は、なぜ地ビールではなく、ウィスキー製造を考えたのか、である。
これらの問題を全てクリアしながら、利益の出せる体質を作り出すのは、小規模工場では無理なのである。それを圧してまでなぜウィスキーにこだわっているのか。
「税務署長も俺の教え子だしな」
宮代がぽつりとつぶやいた。教え子だから融通を利かせてくれると言うわけではないだろうが、宮代の「是が非でも」という気持ちがにじみでていた。
「先生、掃除終わりました。」
「おぅ、今日はもう帰るべぇ。」
「いいんですか?」
「おう、紗渡。今年でおれもこの仕事を辞める。おめぇも高校を卒業したら、俺の所へ来い。」
1984年、地元の中学の職員室では、大型の石油ストーブが炎の燃える音を大きく立てていた。当時中学生だった紗渡は、この宮代の誘いが、本気のものとは思えなかった。
「大学行きますよ。僕だって。」
「わかってるよ。大学に行くことを考えてから、俺のことを思い出せ。」
その時に、宮代の言っていることを3年後に思い出せるとは思わなかった。高校に入ったら、部活動をしながら、受験戦争に巻き込まれ、少しでも自分の将来のために役立つ学歴を手に入れるため、大学に行くのだ。
「宮代に変な事言われたぜ」
「酔っぱらい先生にか?本気にするな。あの人、今年で定年だから、無責任なんだよ。」
紗渡が、高校2年になったとき、なぜか宮代の言っていたことが思い出されてしかたなかった。宮代は紗渡が大学進学をするだろう事を知っていながら、卒業したら来いといった。どう言うことだったのか、未だに解らなかったが、心の中に引っかかっている。卒業名簿に書かれた宮代先生の連絡先に電話すると、そこにいた。
「そろそろだと思っていたよ。ちょっと遊びに来い。」
宮代先生の自宅は、山間にあった。大きな農家づくりの家で土間で声をかけると遠くから先生の声がする。
玄関を出て声のする方に回ると、濡れ縁で、宮代先生が手を挙げた。ランニングにステテコという、秋と言うには暑い日ではあったが、あまりにだらしない姿ではあった。
「のむか。」
「相変わらずだらしないねぇ。良いのか、高校生に酒勧めて。」
「16歳にもなりゃぁ、元服してらぁ。立派な大人だよ。高校へは自分の意志で言ったんだろう。」
そうなのだ。高校進学をしたこと、その道を自分で選んだことは確かだが、本当に自分の希望だったのか。そして、大学を選んだのも、本当に自分の意志だったのか。それが解らなくなっていたのかも知れない。
勧められるままに一升瓶に入った透明な液体を喉に流し込んだ。
「きつい酒ですね。焼酎ですか?」
「そう思うかい?」
「いや、酒のことは解りませんから。」
「こきやがれ、高校生にもなりゃぁ飲まねぇ宴会なんかねぇだろう。ちょっとこいや。」
宮代先生は縁台に転がっていたサンダルを突っかけて、家の裏に向かった。紗渡もあとをついて歩いていたが、自分がなんでこんな所にいるのか、理解に苦しんでいた。中学時代に特に縁が深かった先生と言うわけではない。社会科が嫌いだった紗渡と歴史の先生であり、3年時の担任だった宮代先生は特に好きな先生と言うわけではなかったのだ。
宮代先生のあとをついて行くと、大きな納屋に突き当たった。いや、「蔵」だろう。しかし大きい。中にはいると、見慣れない金属製の釜が据え付けてある。
「なんですかこりゃ。」
「ポットスチルと言ってな、酒を造る道具だ。」
「さっきのは、密造酒ですか。共犯にしましたね。」
「ばかいえ、高校生を共犯にしてどぉする。酒と言ってもな、こいつは、ウィスキーを作る道具だ。」
「なんでまた、こんな所に?しかも二つもある。」
「二つでセットなんだよ。あるもんは仕方ねぇ。それでな、こいつを一緒に動かしてくれる奴を捜していたんだ。」
3年近く前から計画していたのか。しかも、そいつは大学に行くと言ったはずなのにだ。
「大学はどうすれば…。」
「大学と言うところはな、勉強したい奴が行く所なんだ。紗渡にはそれがあるのか?」
「嫌な人だな。解ってたんですか。3年も前から。」
「おぉ、お前は俺と同じ人種だ。そうは多くねぇから、すぐに解った。卒業したら来い。2年間ここでおれと一緒に仕事をして、大学に行け。学費は俺が出す。」
「バカじゃねぇですか?先生。」
「お前と同じ人種だと行ったろう。」
あれから10年。様々な農業の仕事と酒造に関する各種ノウハウの蓄積。農家の仕事はなんとか金になっていたとは思うが、給料をもらうわけでもなく、欲しいもの、やりたいことは言えばやらせてくれた2年間と、どうしても必要になった研究室とネットワーク作りのために大学へも行った。
何が生業なのか、自分にも良く解らない時間が流れていた。今考えてみると、あの日から、今日このときまでが、長いモラトリアムだったとも言える。
それが、ようやく終焉に向かいつつある。1831年、連続蒸留式釜がパテント登録され、発芽穀物を使用しないグレーンウィスキーが開発されたが、「ウィスキー」の言葉が、一般的になったのは1889年頃である。つまり、モルトウィスキーを作るためのポットスチールは、160年以上も前から使用され、110年前ほどには、今の形になり、定着していた事になる。
宮代の家の蔵にある釜と乾燥室、その他、酒を造るのに必要な設備は、どうやら40年以上前に据え付けられたものらしい。使わないでいれば劣化するものである上に、当時から、違法であることに変わりはなかったはずである。戦後のどさくさ紛れに、手に入れ、設備したものらしかった。
丹念に手入れして、少しずつまともな酒を造れる施設に手直ししていった。もちろんその設備も、試しに造ってみた酒も、金を生むことはなかった。
畑を渡る風が秋を感じさせる。紗渡は「畦」に座って、タバコをふかしていた。ゴールデンメロンの黄緑色の海原が広がっている。この畑から作られる大麦で、どれほどのウィスキーが作れるというのだろう。もちろん、実際に生産体制に入れば、この畑から産出される麦だけでは足りるわけがない。しかし、ここにこれだけの麦畑を持っていることも宮代の気持ちの現れなのか。
「二条麦の畑そのものがこの辺じゃ珍しいかもしれんな。」
宮代がコップを持ったまま畑に出てきた。紗渡は吸いがらをしまいながら少し座る位置をずらした。宮代がそこに座った。宮代は、麦畑を子供の成長ぶりを愛でるような眩しそうな目で眺めていた。
「なぜウィスキーなんですか。ビールの方が商売になりそうなのに。」
「何でビールなんか作るんだよ。夢もそっけもねぇ」
「夢じゃ喰ってけないっすよ。」
「この十年、夢だけで大学にまで行った奴は誰だ。」
「宮代さんの夢って、何なんですか。」
「ウィスキー作りだろ。」
「何か、それだけじゃないような気がして。」
宮代の目にゴールデンメロンの波が写っている。夕日が畑の向こうの山に沈みかけている。
「ただの酒好きなんだがよ、こうして酒作って、お前らと一緒に過ごしてよ。
それで普通なら考えねぇ様なことを一所懸命になってよ。くだらねぇな。
教員なんて仕事はな、人にものを教えて、偉いようだが、毎年同じ事をやっているんだ。
人が育って行くのは楽しみなものだが、なかなか自分のやった仕事の結果をみることは出来ねぇんだよ。」
宮代が、いかにも楽しそうに紗渡をみた。紗渡は、しばらく宮代の目を見て、急に思いついたように視線を逸らした。
「僕は12年ものですか。」
「楽しませてくれるよ。本当の意味で、出荷できる商品になる。」
人を育て、酒を育てる。宮代のライフワークにまんまとはめられたわけだが、紗渡も今までの人生も、これから期待できる人生も本当の意味で楽しめるようになっていたと言える。それは、宮代が紗渡を育てる中でオーク樽の中で熟成している間の「天使の分け前」だったのかも知れない。
了